人間不信で苦しかったから独立するしかなかった開業当時

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夜明け前

『登録期限の1年が過ぎましたので、書類不備により申請を却下します。』
通知が届きました。

期日までにビザが取得できませんでした。
米国カリフォルニア州で不動産ライセンスの申請をしたときのこと。

建設会社で不動産開発の仕事をしてましたが、急にもっと大きいところで挑戦してみたくなりカリフォルニア州の不動産ライセンスの勉強を始め2年掛りで試験に合格しました。

合格を機に会社を退職して、本格的に渡米の挑戦が始まりました。
アメリカで不動産ブローカーとして働くまでの課題は一つだと思ってました。
ワーキングビザを取得すること。

簡単に取れると思って会社を辞めちゃったから結構大変でした。
でも楽しかった〜。

ビザサポートをしてくれる会社を見つけるためにロサンゼルスへ行きました。
英語が苦手(TOEIC 400点)だったから緊張しまくり、テンパりっぱなしでした。
空港でレンタカーを借りて、地図を買って運転の練習と度胸試し。
目をつぶって、地図を開いて指で押さえたところへ行く。着いたらまた地図を閉じて開いて目的地を決める。夜はモーテルに泊まる。予約がいらないから便利でした。
一週間くらい続けました。移動に関してはもう大丈夫。

いよいよ会社探し。
モーテルの電話帳から日本人の不動産会社を探して、片っ端から飛び込み営業。というか、ひたすらお願いして回りました。

本当にいい社長ばかりでした。
1月もかからないで見つかりました。サポートしてくれる不動産会社。
サポートの条件は、

1年間で500万円の貯金をすること。

それぐらい達成出来ないなら、アメリカに来るな!ってハッキリ言われました。

500万円を作る。自分との約束。
これは、帰国してからやること。

まだここアメリカで帰国前にやることがあります。
ビザ申請をしてくれる弁護士探し。
これも電話帳。こんなに電話帳が便利で絶えず手元において活用したことって最初で最後でした。

流石に弁護士に相談するのに飛び込みは控えました。
というよりも勝手にビビって日和ってました…

とりあえず電話するも、当然英語。
アポが取れない…
相談内容が説明できないから当然か!

だんだん電話がかけ辛くなって、一日10件。
5件、1件…となり、『今日はドライブの日』
って逃げ出した…

3日もすると異国にいることが不安で帰りたくなる。
覚悟を決めてまた電話。

一日に1件しかできない…
それも嫌々…

何をやってるんだかなぁ
変なプライドが顔を出す。

絶好調

もうはじめから日本語で電話しちゃえ〜
そしたら、立て続けにアポが5件も取れました。
その中のお一人に正式に依頼して、
サポート会社の社長さんをご紹介して無事帰国。

この体験が成長させてくれてました。

帰国後、会社やめちゃったし何しようかな?
どうやって稼ごうか?
あまり悩みませんでした。
自分のできることなんて自分がやってきたこと。
知り合いの会社へフルコミで名刺を持たせてください!
ってお願いして工事受注の営業マン誕生。

ひたすら飛び込みと御用聞きの毎日でした。
みんなが応援してくれたから、3ヶ月もしないで目標達成♪

ここから思い通りにならなくなり始めたんです。
ビザの手続きが進まない。
追加書類の要求ばかり。
いつになったら結果が出るのか…

風が変わる

この年は、全米中で移民局がビザの発給を抑えていたらしいです。
3ヶ月毎ぐらいにアメリカと日本の往復生活。
アメリカでは飲んで遊んでの繰り返し、変な知り合いばかりが増えました。
ハリウッド映画に出てくるカジノはVIPルームに顔パス。
お腹が空いたら食堂代わり。

他には、大学のキャンパス周りもたくさんしました。
アメリカに来れたら勉強もし直したいなぁ
なんてことも考えてましたね。

日本では相変わらずに働きまくって稼ぐ日々。
結構稼いだんですよ。

試験合格日から1年経過…
弁護士に確認しても全く分かりませんとの回答。
そして、試験合格失効の通知

一人怒ってました。
弁護士に八つ当たりもできないし…
カリフォルニアの不動産省に期日前に申請したんだから失効はおかしいでしょ!
カリフォルニアの移民局が良いも悪いも出さないことが原因だ!
って手紙を出したんです。

なんと、半年延長しますって手紙が帰ってきました。
もうラッキー!って有頂天。
またアメリカ行って、報告して遊んできた。

そして、延長してもらった半年も過ぎました…

おぼっちゃまな性格が判明する

「ごめん…」
一本の電話。

『あ〜、そっか
おれ騙されたんだぁ…』

ビザとは無関係で手を出してた投資話。
どこの誰とも知らない
ホテルのロビーで知り合って一緒に飲み食いするようになった日系人

不動産ブローカーとして稼げるようになるまでの収入源を作りたかった。
深く考えずに話に乗った。

数千万の被害。
1000万以上の負債発生。

泣いた。
悔しかった…
情けなかった…

友人も巻き込みました。
ここで止めないと被害が広がる!
嫌々アメリカへ行きました。
後始末…
警察へ被害届を提出。
ビザをサポートしていただいていた社長へ謝罪。
すごく叱ってくれました。
ありがたかった

許せなかった!

「お願いします」
この一言を発していたら、
僕は人殺しになってました。

底まで落ちる必要があった

「すいません。やっぱりいいです。」
全部終わりました。

ゼロから、
いいえ、お金を返さないといけないから
マイナスからの出直し。

日本での信用も台無しに…

働く場所も名刺も取り上げられました。

仕事探しから始めました。
次の場所もすぐに見つかりまた働き始めました。

9月11日、テレビを見てびっくり!
ワールドトレードセンターが燃えてる。
画面の前で震えてました。
この日は仕事に集中できませんでした…

それから一週間もしないうちに弁護士から連絡がありました。

「ビザ、取得できました。」

何の報告も出来ませんでした。
「ありがとうございました」

淡々と飛び込み営業。
朝出て、名刺が無くなったら帰る。
毎日この繰り返し。

数字は上がり会社の売り上げは伸びました。
歩合給の数字も借金返済分以上になりました。

トラブル発生!

「そんな約束した覚えはない。何でお前にそんなに支払う必要があるんだ…」
「この金をいま振り込んでやるから、もううちに来なくていいぞ!」

はじめの約束(書面がないから僕の思い込み???)の1/6。
もう完全な人間不信状態でした。

でもね、何かが吹っ切れたかな…

すごく考えた。
と思う…

大地に根をはろう!
再再出発。
不動産会社にしました。

有限会社ガイア(現在は、有限会社ガイアミューズ

再挑戦をはじめる

  • お金ないし、借りることもできないし、どうしましょう?
  • いまあるもの
  • ビザ!

アメリカに行かなくても、ここまでやったって結果は欲しい。

  • とりあえず、不動産省へ必要書類が全部揃ったことを伝えました。
  • 一切返事はありませんでした。
  • 申請期日から2年ほど経過してたから当然のこと。
  • 手紙を出してみました。
  • これも当然返事なし。
  • 行くか!

直談判

  • サンフランシスコ・カリフォルニア州不動産省の本部へ行きました。
  • アポ無し突撃訪問
  • 受付で「ライセンスに関することで相談に来ました。」と伝えたら取り合ってもらえませんでした。
  • 窓口へ直行。
  • ブラインドが降りてる面会場所みたいなとこで、半透明の仕切り版をバンバン叩いてみました。
  • 1分もしないうちにブラインドが上がりました。

「何ですか?」

とにかく熱く伝える努力をしました!

  • 全ての状況・経過説明。英語でできないから、日本で書いた手紙をブラインドの下から滑り込ませて渡しました。画用紙に絵を描いて説明もしました。
  • 鉄格子越しの相手の方が僕を見上げ、待てと言ってくれました。5分も待たないうちに違う人が来て、
  • 「理由は分かりました。この手紙を受理します。」
  • みたいなことを言われたと思う。
  • 確認したかったんだけど、英語で説明できないから、手紙を受け取ってもらえたから良いか!ってそこを離れました。手紙の内容はシンプルでした。

試験合格後すぐにライセンスの申請をした。ビザを取得できないのは、カリフォルニア州としての回答が遅すぎる!失効期限を過ぎてしまった原因もそちらにある。と言うことを辞書を片手に用意していきました。

2週間もしないうちに届きました。カリフォルニア州不動産ブローカーライセンス。

熱意が伝わることは、万国共通ですね。

  • 僕は、ビザが欲しかった。
  • 取得できました。
  • アメリカで挑戦したかった。
  • 自分でやめました。
  • 不動産ブローカーになりたかった。
  • なれました。

余計な経験はしましたが、『 望みは叶う 』も体験しました。

アメリカで挑戦したい!漠然と夢見て走り始めた。夢が現実に変わって、目標になった。目標は達成した。それを受け取らなかったのもまた僕の選択。

ただの憧れだったアメリカ。

  • 思った
  • 動いた
  • それから4年
  • アメリカでブローカーとして挑戦する権利は得た!
  • 想像以上の体験もさせてもらいました。
  • すごく濃い4年間でした。
  • 人として一番成長した時期。

絶対に忘れないでおこう。忘れられないけどね!

おまけに、ハワイの不動産ライセンスも一日だけ登録できました!ハワイはワーキングビザがないと試験すら受けられない州です。ビザが失効する3日前に試験を受けました。その場で合否が知らされます。

 

  • 受かるつもりで行ってたから、申請書類も準備済み。試験会場を出て、その足で銀行に行ってお金を納めて、書類を整えて郵便局に行って書留で送りました。
  • 翌週には、アクティブなライセンスが届きました。
  • その次の週には、失効通知が来ました…

これも楽しい経験でした。

人生はゲーム

どんなことでも、進み続ければ必ず到達できます。間違った方向に進めば、そのまま間違ったゴールにたどり着くだけです。道に迷ったら、自分のポジションを確認して、どこにいるか分かったら、今度は、目標を見据えてその方向に向かって進み始める。たったこれだけのことで、人は何処にでも行ける。

だから、人生ゲームはいつでも楽しむことができます!僕もまだまだこれから未知のことにもどんどん挑戦していきます。まだまだ人生ゲームを楽しみたいですから♪

後日談

そんなにすぐに気持ちを切り替えることができたら世の中もっと平和で生きやすくなると思います。やっぱり心に傷は残っていたのでしょう。何をしていても集中力が続かなく、お客様に対してもなんとも説明し辛い不信感を抱いてしまうようになってしまいました。

そんな状態でお客様に満足していただける仕事ができる訳もなく、他人に会うことが怖くなるまで3ヶ月もかかりませんでした。仕事をしなくても時間が経てばお腹も空くし眠くもなります。生活費でお金は出る一方です。どうせ仕事が出来ないからと逃げ込んだ先は、奈良の山奥にある断食道場。

居心地良かったです。

朝から晩まで一日中何もしない。否、正確には朝と晩に般若心経を唱えるだけ。あとはただ何もしない!断食道場だから食事もなし。水は飲むけど4、5日すれば宿便も出切ってしまいトイレの回数もグッと減ります。食べないのだから体力もなくなり、眠れなくなります。寝るって結構体力いるって実感できます。お風呂も浸かってしまうと湯船から出られなくなるから風呂も入らない。考えることも疲れるから、ただボーっとしてるだけ。ほとんど着替えもしなかったような気がします。

まさに世捨人。そして臭くて汚い人間の出来上がり。このまま一生いてもいいかなぁ、なんて気にもなったりしました。21日間篭ってました。

出ようと思ったきっかけは、食欲でした。

雑誌に載ってた一枚の写真、せいろ蕎麦。 とっても美味しそうだった。 それからは断食が苦しくて苦しくて我慢できなくなりました。

蕎麦一枚食べるのも無料ではない。働いてお金を稼がないと食べれれない。でも、他人と関わらないとお金が稼げない。もう嫌な思いはしたくない!

はずでした。が、食欲の勝ち!

  • 何の刺激もストレスもない生活。それも良いな!って確かに思った。
  • それよりもストレス満載でも良くも悪くも刺激と悦びのある社会に戻りたいと強く思った。
  • いまも断食道場から出て最初に食べた蕎麦の味を覚えてます。

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